美容Webライターの福永ももです。美容ジャンルの文章執筆をしています。ここでは私が美容Webライターとして活動するに至った経緯をご紹介します。
美容師になるきっかけはコンプレックスだった
くせ毛だからこそ得られた美容の楽しさ
私は、幼い頃からくせ毛に悩んでいました。自分の髪の毛は大嫌い、お年玉を貯めては高価なシャンプーを購入したり、癖を抑えるために髪を結んだり試行錯誤の日々でした。
ただ、長く伸ばした髪の毛をヘアアレンジすることも大好きだったんです。小学6年生の卒業文集では「ヘアアレンジNO1」に選ばれるくらいになっていました。
縮毛矯正で変わった自分の世界
中学生になるタイミングで、ずっと憧れだった縮毛矯正を体験しました。自分の髪の毛がサラサラになったときは、本当に感動したのを覚えています。どんなに湿気があっても、シャンプーしてもストレートを維持できる髪の毛は、中学1年生だった私の学校生活を変えるくらいの強いインパクトを与えてくれました。
同時に「髪の毛で人の人生が変わる、私もコンプレックスを持つ人の人生を変えられる美容師さんになりたい!」という夢を持つようになったのです。美容師の夢はずっと変わらず、その後地元の高校を卒業し、美容師の専門学校に入りました。
辛くても充実していた美容師時代
教育カリキュラムが厳しいと評判のサロンに就職し、4年の修業期間を経てスタイリストデビューを果たしました。厳しいとは聞いていましたが、本当に厳しかったんですよね……。お陰様で、新潟県美容技術選手権大会2位という実績を残すことができました。
私には歯を食いしばってトレーニングに耐え抜いた4年間のアシスタント時代があります。へこたれない精神と強力なメンタルはこの時期に作り上げられたと言っても過言ではありません。
家庭を持って気がついた外で働くことの難しさ
再就職と出産の後、美容ライターの道を選ぶ
結婚を機に地元へ戻り、子どもを生んでからは近所の美容に就職しました。同僚が退職や育休に入り、1人店長を任されたとき、重い責任がのしかかり不安でいっぱいになりました。
「今子どもが熱を出したらどうしよう…」
「今日は予約がいっぱいだから迎えにいけない」
仕事中に心配事が多すぎる働き方に、ストレスを感じはじめていたのがこの時期です。
世の副業ブームに乗り、2人目の妊娠中に副業としてWebライターを始めました。美容師として培った経験から、書きやすいジャンルは当時から美容系でした。しかしクライアントから薬機法を守ることを指摘されたのです。「こんな薄い知識のままでは自分のためにもクライアントのためにもならない。」と一念発起。
ライターを始めて半年後、薬機法を本格的に学ぶと覚悟を決めました。現在までに、約80万円かけて薬機法を学んでいます。その結果、クライアントからの信頼を得て、監修記事も多数執筆させていただけるようになりました。
コンプレックスから生まれた美容師の夢は今も続く
私は現在美容師をやめてしまいましたが、美容師の仕事が大好きです。ただ、残念ながら現役時代のわたしは、全く売れなかったという事実があります。「美容師としてもっとちゃんと稼げていたら、他の未来があったのかな?」と今でも後悔の念にかられることがあるんです。
だからこそ、美容サービスをお持ちの方のために文章でお力添えしたい、必要な人にサービスを届けたいという思いがあります。「文章1つで思いは届く、サービスの良さは必ず伝わる」ということを知っていただくためにライター活動をしています。
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